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2014年7月

2014年7月26日 (土)

原田定食

ごっつあんです!!

そして、おひさでごわす。
ずっと多忙でして、なかなかブログ更新ができません。
先日、久々に一日休めたので下衆が、
熱射病でぶっ倒れ(ながらブログ書い)ていました。

『明日は、頑張れば休めるかも知れない。休めたらプールに行こう!』と
チビ君を誘ったのだが『携帯イジっていたいから行かない』との事。
今日iPhoneを買ってあげたのです、
プールに付き合ってくれたらiPhone買ってあげると、
条件を付けるべきでした。

晩御飯を作るのも久々でした。
最近は、食が多いです。
僕の帰りが遅い時は、ちびくん、
コンビニで御飯を買ってきて食べています。

今日は10時に閉店のスーパーに駆け込み、
晩ご飯の食材を買い
久々に晩御飯を作りました。

だからでしょうか?
久々だからでしょうか?
こんなもんでしたっけ?
ぼくの料理の腕前って?

不味かったです^^
ご覧のとおり♪
Dsc_1088
これ、なんでしょうか?
答えは、冷やし中華なのです。(爆)

2014年7月20日 (日)

我が家のルーツ

拙者の生まれた佐渡島では苗字の代わりに「屋号」で人を呼ぶのが通例だ。

だから同じ地区(佐渡では部落という云う)に住んでいも、苗字は知らない。
というようなこともよくある。
中学?高校?の名簿にも屋号が載っていた。(今もそうなのかなあ?)

我が家の屋号は〇ベイさんだ。
僕が中学生のときの社会の先生は民俗学の博士号を持っていた人で
〇沢先生という人だった。
中学に入学して間もなく「〇川くん、君は〇ベイさんだね?」
「黒板のところに来て、トクベイを漢字で書いてごらん。」
そういわれて前に出て黒板に「〇平」と書いた。

〇沢先生は
「〇川という名字で、〇兵衛という屋号の家を探していたんだ。
なんだ君じゃなかったのか。」と言った。
未だにそのことが気になっている。
拙者の家のルーツが気になる。
それを知ったからと言って、
どうなるわけでもないのだが。
我が家は昔大地主だった。
地券廃止(明治22年)以前の地券証が沢山、蔵にある。
自農法制定(昭和22-23年の農地解放)前も
土地は沢山所有していたようだ。



我が家の墓は2×4の家みたいに石の壁で組み立てられている。
その墓石の壁には、月、星、などの形がくり抜かれ、
一見して変な墓石なのだ。
ぼくが子どもの頃、友人のお爺ちゃんが
「この墓は由緒ある家の墓だ」と教えてくれた。
親戚には優秀な人が多い、
海外の企業の○○とか、某大の○○とか、
へ===?というような人もいた。いる。
亡くなるとニュースに出るような人もいた。


ぼくのお爺ちゃんは会ったことはないが、可なり男前だった。
その姉は絶倫の美女であり、言い伝えによると
全国から募集がくるほどの美女であり有名だった。(と聞いた、言い伝えだけどね。)
そして、明治の時代に北海道の立派なおうちにに嫁いで行った。
嫁入りのときの写真を見たことがある。
そこに映っていたのは絶倫の美女ではなく
絶世の美女だった。
我が家は決して優秀な家族ではない。
それどころか、我が家の言い伝えで、こんなのがある。
「100年に一度、ガイキチが生まれる。そのガイキチが身上を潰す、
100年周期でそれが起こる。」
我が家は概ね100年前に他所から引っ越してきた家で
家そのものを曳家して、今の土地に引っ張ってきたそうだ。
その古い家は僕が小学校4年まで建っていた。
概ね100年前に身上を潰しているのだ。
ということは?
その100年後に生まれた僕ちゃんは、
例の1/100の確立の「あれ」なのか??
親は「1/100確立の、あれは、きっとお前のことだよ」
と言って笑っていた。
たまに我が家のルーツが気になる。




〇沢先生、拙者の家が「〇兵衛」なんです。
字画数が多くて面倒なので「〇平」と黒板に書いただけなんです^^

2014年7月13日 (日)

そのよん

今日、久々に休みなんです♪


ぼくの仲良しは、いま、部活に行っています。

帰宅したら遊びに行こうねって約束しています。

どこに行くかな?迷っています。

天気が良かったらポールに行きたかったけど?
今日は生憎の曇り空。

どこに行こうかな~~?

ちびくんに『楽器屋さんに行きたい』って言ったら
反対されるだろうな~~(笑)

そのさん

そのさん

トイレ君の件
トイレ改装しようと思ってるんですね。
以前から色んな業者さんとかホームセンターに見積してもらったりしていた。
まず第一印象⇒動きが鈍い。鈍すぎる。
見積作成の為の下見に来て貰うのに一ヶ月先待たねばならぬ。
夜以外は殆ど家にいないので折り合いは付けにくいのだが、
それにしても。。death
まあ、それでも漸く改修工事の契約をして、工事の日取りを待つ段階に入った。
トイレくんの機種を選び、入荷を待つ。
つぎ~~
『次は壁紙を選びますので、担当から電話がありましたら来店してください』と
お店から電話があった。⇒キレた。
『便器選ぶときに一緒に提示しろ!付き合ってられるか!クーリングオフじゃ、
ぼけ!』
以上の経緯を設備屋さんに話した。
『ね?酷いもんでしょ?』
『しかも工事店に支払うだけでは自社の利益でないから
マージンも乗っけてるし、高いんだよう~』と。
そしたら、その設備屋さん『あっそ、じゃあ今行くわ。会社まで迎えに行くから』
ナンチュウ迅速な御対応(笑)
家に来て下見して『細かいもんは俺が選んじやうから、手っ取り早く。いいだろ?』
そういう対応好き(笑)
留守がちな我が家だが、会社に鍵を預かりに来て工事をしてくれるという。

大型店とは雲泥の対応だ。
『昭和』な対応だ(笑)
昭和生まれの僕ちんは、グダグダの長い話が嫌いで
結論の遅い人と話していると気絶しかける。
イマドキの人は、この『昭和』の対応にキレちゃうんだろうな?
僕は、ガサツでいいから、ドバーっと、ズバット、ぐを~~っと
が好きだ。
等と思いながら自分の仕事のことを考えていた。

そのに

オーディオ・インターフェースの件

今使っているオーディオ・インターフェースは
ローランドのUA25だ。

Dsc_1044

結構長いこと使ってきた。
不具合は全くなく、しっかり働いてくれる。
この機種の前には U8 というインターフェースを使っていた。
U8
なんだか、見た目は凄いのだが、音は良くなかった。
UA25に買い換えてから驚いた。『インターフェースでここまで変わるのか?』と。
このU8だって、PCのオーディオアウトからの出力音に比べたら
格段にイイ音がしていた。
が、UA25ははるかにその上を行っていた。


が!!!


これが欲しい。
K0000253420
ローランド製の最新機種UA55です。
これまたUA25を遥かに凌ぐ音の良さだとか。。
DTMソフト入れ替えたし、PC買い換えたし、
ついでに買っちゃおうか??

20代の僕はアホのように楽器にお金をつぎ込んでいた。
30代の僕は自宅スタジオにお気に入りのアンプとエフェクターを並べて
自己満足に浸っていた。
40代になって多少落ち着き始めたが物欲が消えることはなく
エフェクターなどを結構頻繁に買っている。
Dsc_1045_2
いろいろとエフェクターは持っているが、今の時点でのゴールは、これです。
エフェクターと言えど、ひとつ3-4-5万円するんです。
いや(/ω\*)
なにか、話がそれた。
以前の僕に比べたら無駄遣いは格段に減ってきている。
だから、UA55買ってもいいかな~。
25000円くらいだし。。

いいかな~~~~~~~~~~~?

そのいち

久々の休み!思わず早起きしちゃいました(笑)

朝風呂に入りながら『ブログ書こう』と思いまして
何から書こう?と考えました。
書きたいことはクソミソあるんです。
だから全部書きます。

7月の朝っつったら、これでしょう?
オルガンについてのブログを書こうかと思っていました。
ここで手短に書きますね。
拙者にとって、オルガンといえばヘン・ケンズレー
いや。ケン・ヘンズレー。
これ聴くと次に『青い影』に行くんでしょ?と思いますね?
勿論大好きですけど余りにベタです。
なので、こちら。
あっしが、よく車でガンガンかけてる グジャント・グヂーン♪
カッコイイですね。
オルガンといえば以前はジョンロードとか上記したケンヘンズレー
ドンエイリー辺りしか浮かばず『ノペー』っと弾く楽器。
という印象しか持ってなかった。
バロック音楽をよく聴いていたし、バッハ好きだったし。
でもよく聴くと、こういうスタッカートが効いた曲にもバッチリ合うんですね。
最近だとジャズギターリストの小沼ようすけさんが、
ギター+オルガンのCDを出してますね。

2014年7月 8日 (火)

ALIVE Ⅱ

このアルバムも僕がロックに目覚める切欠になった重要なアルバムです。

T君のお兄ちゃんが、このレコードを持っていた。お兄ちゃんが所有する
おおきなステレオの前に、駒形電気で買った¥20、600のラジカセを置き
録音した。録音中に救急車が通った、だけど録音は続行した。
『お兄ちゃんが帰宅する前に全部録音しないと!』と焦っていた。
T君のお兄ちゃんは怖い人だったのである。
こうした経緯で漸く手に入れた音源は
KISS ALIVE Ⅱである。
何度も書いたが僕のロックへの入口は
KISSとブラックサバスとランナウェーズとZZ-TOPだった。
当時英語はアマリ分からなかったけど、この曲からは『あれ』を感じた。
だからか?
T君のお母さんに、『お前みたいな、おませと、うちのTと仲良くさせたくない』
とその日言われた記憶がある。
Tのお母さんは、我が子を『おもっこ』だと言っていた。

雷神!ジーン・シモンズとWASPのブラッキー・ロレンスは、
『アホのフリしてるけど実は物凄く頭いいでしょ』と僕が疑っている人だ。


エース・フレイリーの、この歌唱力(笑)
僕がライトハンド奏法というものを知ったのは、
エディー・バン・ヘイレンからではなく
エース・フレーリーが最初だった。
リードギターリストってカッコイイ!!!!!
って思う切欠になった曲だ。
今聴いても鳥肌が立つ。

長々と書いてきたが、これを貼りたかった。
これを書きたかった。
僕が大好きなバラードはこれです。
この小学生の作文も顔負けの、この歌詞。
まさに渦中の歌詞ですね。
この、青臭さに感動してしまします。
バラードって、これでいいんだと思います。



余談ですが、僕が一番嫌いなバラードは『もしもピアノが弾けたなら』
という曲です。
弾けないなら練習するという選択肢は無かったか?
ピアノがないなら、当時YAMAHAからポリフォニック・シンセサーザーが
3万円台で売られていたが、購入の検討はしなかったのか?
ピアニカではダメなのか?
そのような言い訳がましい歌を『バラードとは胸板で歌うもの』と言っていた
西田さんがクルクルパーに見えたものだ。

2014年7月 6日 (日)

梅雨は嫌い

はい、そういうタイトルの曲です。

一か月ぶり(?)にギターを弾いたら
指が痛かったです。
あしからず。

THE HOUSE IS ROCKIN'

1983年の夏、エアコンの無い部屋の窓を開け、

上半身裸でギターを弾いていた。

エルクのいうメーカーの30Wの真空管アンプを持っていた。

大きなエンクロージャーに12インチのスピーカーが一つ、とういう仕様だが

物凄く大きな音が出るアンプだった。

まっすぐに音が飛ぶアンプで、

その音は、自宅から1㌔前後離れた、オヤジの会社にまで、

風向きによっては聞こえていたそうだ。

やまだかまちみたい^^


弟はギターも弾くけどドラムも叩いていたし、

それはそれは喧しい家でした。

ある晩の村の会議で、そのことが話題になり、

ぼくは夜九時以降に爆音を出せなくなった。

「あきちゃんと、とよちゃんに、ようゆうといてや。」

最低限、言いつけは守った。


平日の昼間は(放課後は)バンドの仲間が我が家に集まって練習するので

凄い事になっていた。

帰宅すると後輩の女子軍団が大勢家に来ていて

玄関には凄い数の靴が散らばっていた。

うちのオヤジは、庭で草取りをしたまんま、石になっていた。


高2でバンド仲間だった奴とは離れ、別のバンドを作った。

「お前、学園祭では何をやるの?ディープパープルとかやるの?」

「俺が、そんな真面目なやつヤルわけねーんねか!」

イルカの曲などをハードロックにアレンジしたり、

このバンドでは、そんなことをしていました。

他のS高校の学園祭を見に行ったとき、シブガキ隊の曲を

ハードロックにアレンジして演奏ているバンドが有ってね。

「ちょっと負けたな」とおもった。


僕の知らないところで、ぼくの評価というものがあり

「あいつは二番目。と云う事だった。一番上手いやつはS高校の斉藤だ。」

その斉藤のバンドが上記のシブガキタ隊(笑)

白いフライングVを持った斉藤は、実にかっこよかった。

僕と一緒にS高校の学園祭を見に行った友人(僕と同じバンドのサイドguitar)

が「見てろ」と言い、一人で、よその高校のステージに駆け上がった。

「ギターを貸してくれ」と言い、即興で「牛の歌」というヘンテコリンな歌を歌い、

大勢の人をひきつけた上に自分の学校の学園祭のアピールをし、

自分達のバンドのアピールをし注目を集めた。

こいつにもかなわんのです。




お盆に帰省したときは、我が家の庭で大勢の人を集めてバーベキューをすることが多い。

庭には2台のマーシャルアンプを置いて、みんなで乾杯。

弟も僕も激ヨッパーに到達した頃に、弟から声が掛かる。

「にいちゃん、Aでいくか?」

30年前の、或る晩の村の会議ので決定した規約の事などすっかり忘れていた。

ああ

ギターが恋しい^^

2014年7月 4日 (金)

Don't Fear The Reaper

ご無沙汰でごわす!

おいどん、仕事が忙しくてね、書きたいことが溜まっているんです。
このバンドを知ってますか?
自分たちの音楽を『ヘビーメタル』と表現した最初のバンドです。
当時、ロックはイギリス勢が圧倒的な勢力を持ってて、
アメリカ勢は『ド・アメリカンロック』以外は劣勢でした。
そんな中で『イギリスっぽい雰囲気を持ったアメリカンバンド』
Blue Oyster Cult は暗いながらも、どこか透明感が有り
独特の雰囲気を醸し出していました。
CDという媒体で、最初に買ったのは、
1976年リリースのAgents of Fortune(邦題:タロットの呪い)でした。
なかでも、この『死神』という曲が好きです。
怪しい光を発しているようです。
Don't Fear The Reaper
彼らの曲の中で、もう一曲大好きな曲がこれです。

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